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過去ログ「競馬鹿人生」

福井の競馬フリークたちの集う高級紳士倶楽部

みやっちとぐっさんの競馬鹿人生

昔、投稿天国でかな〜りマニアな競馬コラムを書いて、 かな〜りマニアな人のみにウケていた、『競馬のけ』の作者、“みやっち”。 そのコラムを通じて知り合うことになり、毎晩のように競馬談義に花を咲かせる お好み焼き屋、“ぐっさん”。 二人の「福井の隠れ競馬ファンと知り合って、競馬のロマンについて語り合いたい」という、 たったそれだけの想いで始まったこのサイト「競馬鹿人生」。 今夜も ぐっさんの店で競馬談義が始まった!





 

福井の競馬ファンに捧ぐ

みやっちとぐっさんの“競馬鹿人生”

Special Issue 「ロンシャンの風に吹かれて」
(2004/03/06 PM5:20更新)


フランス・ロンシャン競馬場。世界のホースメンが手にしたいと渇望する最高峰のレース「凱旋門賞」が行なわれる場所。JRAが発足して今年で50年。この50年の歴史の間、幾度となく日本の“最強馬”が目指し、幾度となく挫折してきた「凱旋門賞」。 そして21世紀を目前にした1999年、1頭の馬が日本人に“凱旋門賞に勝てる”と思わせた。その馬の名はエルコンドルパサー。

1999年10月3日。凱旋門賞のゲートが開いた。そしてテレビで観ていた多くの日本人はその眼を疑った。スタート直後、エルコンドルパサーはありえない行動に出たのだ。単独逃げの戦法だった。誰もが“また駄目か……”と落胆したことだろう。しかし、3コーナーを回っても、4コーナーを回っても、彼の脚色は衰えることが無かった!

“勝てるんじゃないか”、誰もが狂喜した。そして直線残り200m。1頭の馬が彼と体を並べた。その馬の名はモンジュー。フランスとアイルランドのダービーを勝ちあがってきた。鞍上・蛯名正義はムチを振るった。彼もそれに答えた。そして、半馬身、負けた。しかし意味のある2着だった。

日本人が少しでも日本競馬に誇りを持てた、1999年10月3日
。それから3年半、やっとこの地に立てた。今度この地で日本競馬に誇りを持たせてくれるのはどんな馬だろう。


後日談として、エルコンドルパサーを破ったモンジューは、その年にジャパンカップにやってきます。それを迎え撃つのは日本の総大将・スペシャルウィーク。見事“半馬身の仇”を討ち、モンジューを1と1/2馬身突き放し、スペシャルウィークは優勝します。
凱旋門賞を走ったその年、エルコンドルパサーは日本に帰ってきて引退、2000年種牡馬として華々しくスタートを切りました。しかし悪夢はこの直後。突然の病により、2002年死亡。僅か3世代を残したのみでした。その名(日本語で「コンドルは飛んで行く」)の通り、世界に飛び立ち、そして日本人に夢を見せてくれた1頭でした。



入り口。近くの地下鉄から歩いたらゆうに30分は超えました。
このコースの周りにはジョギングやロードレースしている人多かったです。
さすが「ツール・ド・フランス」の国。70才のおじいちゃんおばあちゃんも乗っていました。

  管理室にいたおじさんに頼み込んで(英語で。フランス語わかんないもんで……)「10分だけだぞ」と言われましたが、多分1時間くらいいたと思います。でも開催していませんから、ガラーンとしています
スワーヴダンサーの像。
スワーヴダンサー(SuaveDancer)は、1988年アメリカ生まれ。ニジンスキーの仔、グリーンダンサーと、リボー系のアレッジドの肌馬(母馬のこと)Suaviteとの間に生まれました。フランスを中心に走り、生涯成績は9戦5勝2着2回、3着2回。落札金額が4万5000ドルだったから、オーナーかなり得してます。3歳時に凱旋門賞を勝ち、イギリスにいたライバルのジェネラスに一矢報いました。ちなみにこのレースの2着にはマジックナイトという馬が入り、その年ジャパンカップに参戦、当時日本最強と言われていたメジロマックーンに先着(マックイーンは4着、マジックナイトは2着)しています。ジェネラスはその後種牡馬として日本に輸入され、スワーヴダンサーも入る予定だったのですが、輸入される前年に落雷に遭い、オーストラリアで10歳という短い命を終えました
 
  グラディアトゥールの像
グラディアトゥール(Gladiateur)は1862年に生まれました。生涯成績は19戦16勝。フランス馬として初めてイギリスダービーを勝った馬でした。これより少し前、ナポレオン=ボナパルトが朝日の昇る勢いでヨーロッパを席巻し始めていましたが、1815年のワーテルローの戦いにおいて、イギリス・プロイセン連合軍に敗退していました。その傷を引きずっていたフランス人にイギリスダービー優勝の報告が入ると、「ワーテルローの復讐だ!」と全国民から賞賛を受けました。


ここをエルコンドルパサーは駆け抜けたんだろう、と思うと感慨深いものがあります。


馬券の買い方がかいてありますが、フランス語。とんとわかりません……。

ゲートが観客席に。日本とは違うみたいです。

  ワインの飲み過ぎで二日酔いのまま片道30分強を歩いたため、胃の中のワイン(赤・白・ロゼ)は見事に熟成されていました。そしてフランスを飛び立つ直前に食べたホットドッグが見事ストライク! 急激に熱が39度近くまで上昇、帰りの飛行機10時間はずっとトイレで吐いていました。おかげで数キロは痩せましたけど。

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