昔、投稿天国でかな〜りマニアな競馬コラムを書いて、 かな〜りマニアな人のみにウケていた、『競馬のけ』の作者、“みやっち”。 そのコラムを通じて知り合うことになり、毎晩のように競馬談義に花を咲かせる お好み焼き屋、“ぐっさん”。 二人の「福井の隠れ競馬ファンと知り合って、競馬のロマンについて語り合いたい」という、 たったそれだけの想いで始まったこのサイト「競馬鹿人生」。 今夜も ぐっさんの店で競馬談義が始まった!
とうとう「チーム一期一会」も開催! |
福井の競馬ファンに捧ぐ
友人に会いに鹿児島に行ったら、「連れて行きたいところがある」と。彼の車に乗り、延々と道をたどっていくと……。 |
テイエムって……、あのテイエム!?
入場料、なんと330円! 激安! さらに中にはバンガローもアリ。それもかなり安い金額でした。ん〜、庶民には嬉しい限り
中に入ると南国の匂いがプンプンします。北陸から来れば、ヤシの木だけでプンプンってな感じ。
やっぱりあった! オペラオーのポスターに馬主の竹園さんの本の紹介が。まー日本で「テイエム」と付いたら、竹園さんで間違いないとは思いますけどね。ちなみにテイエムオペラオーとはどういう馬かを、ここでかいつまんでご紹介を(ぜんぜんかいつまんでねーじゃん!)。
テイエムオペラオーは1998年、8月にデビューしますが、1番人気も2着止まり。年が明けて1月に未勝利戦に登場しますが、4着と完全に出遅れていました。しかしここからがすごい。2月初旬に未勝利戦を勝ち上がると、2月末の「ゆきやなぎ賞」にも勝利、返す刀で「毎日杯」を奪取し、とうとうクラシックに間に合ったのです。
1999年4月。皐月賞。5番人気に甘んじることなく、クラシック第1冠の「皐月賞」に勝利。1番人気のアドマイヤベガは6着、後に3強と呼ばれるナリタトップロードは2番人気で3着でした。2冠目の「ダービー」では、アドマイヤベガ、ナリタトップロードの後塵を拝し3着に終わり、3冠目、秋の「菊花賞」でもナリタトップロードの2着と1999年のクラシックを賑わせた1頭でした。そして世代交代の予感漂う「有馬記念」がやってくるわけです。
その年の古馬戦線は史上最強と呼ばれた“95年世代”の独壇場でした。春の天皇賞を前年のダービー馬スペシャルウィークが、夏の宝塚記念ではそのスペシャルウィークを並ぶ間もなく抜き去った、前年の有馬記念馬、グラスワンダーが、そして海外では競馬最高峰のレース・凱旋門賞で、僅差の2着というエルコンドルパサー(このレース後引退)が、ことごとく話題をさらっていきました。そして凱旋門賞優勝馬・モンジューをジャパンカップで打ち破ったスペシャルウィーク。有馬記念は否応なく「グラスワンダーとスペシャルウィークの一騎討ち」で持ちきりでした。そこに“96年世代”の2強、オペラオーとトップロード。そしてゲートは開いた!
宝塚記念では先行したのがスペシャル。グラスはぴったりマークして最後の直線で抜き去りました。その屈辱を返すように、今度はスペシャルがグラスを徹底マーク。最後の直線に向き、グラスが抜け出す! そこにスペシャルが並ぶ! 残り200m、抜きつ抜かれつの攻防が繰り広げられ、グラスがハナ差分出たところでゴール! グラスワンダーはこれで前年の有馬記念、その年の宝塚記念と併せて3連続グランプリ制覇という偉業を成し遂げました。そしてインを急襲し、この2頭にクビ差まで迫ったのが、このテイエムオペラオーだったのです。
年が明けた2000年ミレニアムイヤー。この年はオペラオーのためだけにある年でした。初戦の「京都記念」でライバル・ナリタトップロードをクビ差退けると、2戦目の「阪神大賞典」では、グラスワンダー、エルコンドルパサーに影さえ踏ませなかった、サンデーサイレンス最高傑作の呼び声高い、夭折の天馬・サイレンススズカの弟ラスカルスズカを駆逐。春の天皇賞では堂々の1番人気に支持されました。そこでも完璧なレースで2頭を撃破、まず2冠目を獲得したのでした。そして休養後に夏のグランプリ・宝塚記念がやってくるのです。そして新たなライバルが……。
日本では、外国産馬が出走できるレースに制限がかかっています。いわば“裏街道”を走らざるを得ない運命の中、着実に力をつけ、とうとうグランプリレースという桧舞台まで上り詰めた馬が1頭、2000年の宝塚記念に登場しました。オペラオー終生のライバル、といっても過言ではないでしょう、その馬の名はメイショウドトウ。オペラオー完勝と予想された宝塚記念でクビ差まで追い詰めたメイショウドトウ。彼らの激闘史がここに始まったのです。
オペラオーは前年同様、京都大賞典から始動して、“秋の古馬3冠”と呼ばれる天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念へと挑戦します。かつてこの3レースを同じ年に制した馬は1頭もいません。前年のスペシャルウィークは有馬記念でハナ差逃していました。オペラオーなら獲れる、ファンは支持し、1番人気を与えたのでした。対するドトウ。優勝すれば、外国産馬でも天皇賞に出走できる、オールカマーを勝ち、同じく駒を進めたのです。かくしてオペラオーVSドトウの第2ラウンドが始まりました。
まさに完勝。圧倒的な強さを見せたオペラオー。ドトウは直線で置いていかれ、2と1/2馬身差。それでも2着を死守したのは、充実一途の証。そしてジャパンカップ。“1番人気は勝てない”というジャパンカップのジンクスさえも、覇王の道には通用しない。天皇賞の敗戦から作戦変更したドトウはクビ差まで追い詰めたが届かず。後のプリンスオブウェールズS、アイルランドチャンピオンS、ブリーダーズCターフを勝ち、“キングジョージ”でも2年連続2着という、2001年度最優秀古馬のファンタスティックライトさえ、彼らの激闘史に入り込む余地すらありませんでした。そして有馬記念。これを勝てば前人未到の年間古馬中長距離G1完全制覇という偉業を成し遂げるオペラオー、なんとか一矢報いたいドトウ。ドトウが先に仕掛け、直線ではドトウの初勝利か! と思った瞬間、馬群の中に“覇王の道”が! 絶体絶命の位置から覇王は抜け出した! 残り5m、ハナ差だけ出たところがゴールだったのです。
オペラオー、完全制覇! まさに覇王。覇王の前に道はなし。覇王の後ろに道が生まれる。
2001年もG1戦線はこの2頭の激闘史で彩られるかと思ったがしかし、かつてライスシャワーがメジロマックイーンに引導を渡したように、オグリキャップがタマモクロスに引導を渡したように、やがて激闘史の幕は降りるのでありました。2001年初戦の大阪杯、まさかの4着に敗れたオペラオー、終焉を迎える序曲が鳴り始めました。天皇賞・春こそ距離適性の差を生かし、ドトウには勝つものの、ドトウにとって適距離の次走・宝塚記念では、前年からの悲願であったオペラオーからのG1奪取を果たしたのです。そして、1年間の激闘史に終止符が打たれました。
秋の古馬G1戦線、天皇賞・秋では、芝・ダート・中央・地方・海外問わずG1を獲りまくったアグネスデジタルに、ジャパンカップではその年のダービー馬・ジャングルポケットに、そして有馬記念では後の春の天皇賞馬、そして凱旋門賞に挑戦したマンハッタンカフェにいずれも、彼らは敗れていくのでした。2頭の激闘史は閉じられたのです。
彼らは引退するのも、種牡馬として繋養されたのも同じ。激闘を繰り広げた2頭は仲良く父親としての仕事に就いたのでした。(長すぎたか……)
トタンですが、かなり風情を感じる内装。鉄分たっぷりの温泉です。最近温泉詐称が取りざたされていますが、
ここは違うでしょう。やはり桜島の近く、温泉はたっぷり出そうです。
ドアを開ければ露天まで! それも2つ。 ここから見る錦江湾と強い日差し。なかなかいいもんです。“覇王”になりたい人は来るべし。
こんな風に真っ裸で風を受ければ“覇王”の気分(笑)
牧場が隣接しているので、この柵から海へと放牧に出されるんですね、きっと。
隣接するテイエム温泉牧場。行ったときは門が閉まっていましたが、オペラオーのような最強馬が、もしかしたらここに来て、同じ温泉に入るのかもしれません……。