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みやっちとぐっさんの競馬鹿人生

昔、投稿天国でかな〜りマニアな競馬コラムを書いて、 かな〜りマニアな人のみにウケていた、『競馬のけ』の作者、“みやっち”。 そのコラムを通じて知り合うことになり、毎晩のように競馬談義に花を咲かせる お好み焼き屋、“ぐっさん”。 二人の「福井の隠れ競馬ファンと知り合って、競馬のロマンについて語り合いたい」という、 たったそれだけの想いで始まったこのサイト「競馬鹿人生」。 今夜も ぐっさんの店で競馬談義が始まった!

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第61話 「 消え行くひとつの歴史〜アングロアラブ競走〜 」
(2005/6/14 AM10:12更新)

昔、投稿天国でかな〜りマニアな競馬コラムを書いて、かな〜りマニアな人のみにウケていた、『競馬のけ』の作者、“みやっち”。
そのコラムを通じて知り合うことになり、毎晩のように競馬談義に花を咲かせる、お好み焼き屋、“ぐっさん”。

二人の「福井の隠れ競馬ファンと知り合って、競馬のロマンについて語り合いたい」
という、たったそれだけの想いで始まったこのページ。
今夜も ぐっさんの店で競馬談義が始まった。

かつて、日本の競馬はある馬種により、その底辺を支えられてきました。
サラブレッド?いえ、違います。
今回取り上げる「アングロアラブ」がそうなのです。



みやっちとぐっさんの競馬鹿人生 バナーです。リンクフリーです。動きます。


 

 

○アングロアラブとは?

アングロアラブとは、平たく言えば「サラブレッドとアラブ馬の混血」です。

サラブレッドの原種とされるアラビア半島原産の馬種をアラブ馬といい、砂漠に育まれた素晴らしい耐久性と鋭敏な知覚力を有しています。

その耐久性にサラブレッドのスピードを得るため掛け合わされた個体をアングロアラブといいます。

サラブレッドの3大始祖と呼ばれるダーレーアラビアンヤゴドルフィンバルブは純血アラブ馬です。

素人にはサラブレッドと変わらない外見をしていますが、

サラブレッドと比べタフで飼育の手間が少なく、持久力にも優れています。しかも気性が従順(個体差はあるでしょうが……)。

その代わり、スピードではサラブレッドにやや劣ります。

なお、わが国の競馬において「アラブ」は、このアングロアラブの事を指す場合がほとんどです。

原産国はイギリスですが、ほかの国々、特にフランスで育種が盛んでした。

フランスでは、元々軍用乗馬(騎兵隊用)として育種されました。

アングロアラブはサラブレッドよりも耐久力が優れ、丈夫で扱いやすいという特徴を持っていいるためです。

 

アングロアラブはアラブとサラブレッドの混血ですが、

・アラブの牝馬にサラブレッド牡馬を交配したもの、
・サラ牝馬にアラブを交配したもの、
・アングロアラブ相互の交配によるもの、
があります。

日本ではアラブ血量を25%以上もったものをアングロアラブとしています。

25%としたのも、原産国のフランスでの経験に基づく値で、軍用乗馬としての適正値です。日本はそれにならったのです。

○日本におけるアングロアラブの歴史

日本におけるアングロアラブの馬産は、日本で洋式競馬がスタートした同じ年の1867(慶応3)年、

時のフランス皇帝・ナポレオン3世から将軍・徳川慶喜に寄贈されたといわれる純血アラブ牝馬の高砂に始まります。

高砂の子孫は現存しており、高知の一線級で活躍しているマルチジャガーやエスケープハッチなどがそれです。

また、大正年間に入るとハンガリーからオーバーヤン五ノ二、オーバーヤン五ノ七などの純血アラブが輸入され、一大牝系を築いていきました。

日本でのアラブ系馬の歴史は、明治以降の「富国強兵」の歴史と重なります。

1929(昭和4)年、農林省(当時)の指示で、産国別などで行われていた競馬に、アラブ系競走が導入されました。

質、頭数ともに不足した軍用乗馬の改良が目的だったのです。

アラブ系競走の導入などによって、軍馬の改良が進みました。

第2次世界大戦で日本はアラブ系を含む約60万頭を使ったといわれています。

戦場に人命はもちろん、馬、特にアラブ系の馬が沢山散っていったということです。

○競馬の根底を支えてきたアラブ

第二次世界大戦後、軍馬としての需要はなくなりましたが、

終戦直後になって、今度は戦災復興資金稼ぎの名目で全国的に競馬が振興された時に、

頭数の揃わないサラブレッドの競馬を補完する役割でアングロアラブ競馬が実施されました。

戦時中はサラブレッド以上に生産されていたので数が比較的確保しやすかったというのもあるでしょうが、

何よりタフでサラブレッド以上に数多く競走に使うことができる事とサラブレッドに比べて維持がある程度しやすかった事から、

馬・物・人、全てが不足していた当時の競馬……地方競馬はもちろん、中央競馬でさえ欠かせない存在でした。

戦後の日本競馬は、アングロアラブによって文字通り底辺を支えられてきたのです。

アングロアラブの存在が無ければ、今日の競馬もひょっとしたら無かったのかもしれません。

 

○アラブの怪物・セイユウ

アングロアラブは遺伝上サラブレッドよりも速く走るのは厳しいのですが、

サラブレッドのレベルが今ほど高くなかった頃はサラブレッドに勝つほど強いアラブがいたりもしました。

特筆すべきは、アラブで唯一JRAの顕彰馬に選出された「セイユウ」です。

セイユウは昭和29年生まれのアングロアラブ。

母の母が純血アラブで、母の父はサラブレッド、父は後にリーディングサイヤーとなったライジングフレーム(これもサラブレッド)という血統構成で、アラブ血量はジャスト25.00%。

対アラブ戦15連勝などの記録を打ち立てた後に敢然とサラブレッドに挑戦。

七夕賞、福島記念と2つの特別戦を制して、「怪物ここにあり」と気勢を上げましたが、次の2戦では完敗して、やはりアラブはアラブだ、と言われ始めます。

 

しかし、中山のセントライト記念で立ち直ります。

NHK杯2着のラプソデー(この後に菊花賞優勝)、ダービー3着のギンヨク、オークス3着のセルローズなどサラブレッドの強豪9頭が相手でした。

馬場は得意の不良馬場でしたが、4コーナー手前から2番手に上がり、直線もよく伸びて、坂を上がって猛追するラプソデーを1馬身半差で抑え、優勝したのでした。

セイユウはサラブレッド相手に25戦5勝、種牡馬となってからも1シーズン最多で238頭に種付けされるなど活躍して「性雄」と言われ、

収得賞金のほぼ40倍にあたる約3億2000万円の種付料を稼いだのでした。

残念ながらセイユウのサイアーラインは現在では完全に途絶えてしまいましたが、母系にその名をとどめています。

 

○時代の流れの中で……

日本競馬の競馬の発展に伴いサラブレッドの生産頭数も増え、豊富な馬と少ない開催日数、

加えて「日本競馬の国際化」を目指す中央競馬(JRA)においては「国際標準」ではないアングロアラブ競馬は徐々に衰退してしまいました。

しかし、小規模で限られた所属馬と人手で多くの開催日数をこなさなければならない地方競馬においては、競馬運営を支える大事な存在として長く重宝されました。

大抵の地方競馬は競輪や競艇のように主催者から開催ごとにレースを「配分」される形のため、コンスタントに出走することを半ば義務付けられている、

ということ(出走辞退することも可能ですが、あんまり長くレースに出ないと少々ペナルティがあるようです)に加えて、

小規模な競馬場になると、厩舎側にとっては賞金が安いのでコンスタントにレースに出て稼がないと飼葉代が出ない、

主催者にとっては所属馬が少ないので毎開催出てもらわないとレースが満足に編成できないという双方の事情で、

下級条件馬など中1週間隔での出走が当たり前になっていたりします。

こんなハードな競馬をこなすには、頑丈で連闘の利くアングロアラブは無くてはならない存在だったのです。

 

しかし1994年、競馬界・馬産界に衝撃が走ります。

JRAがアングロアラブ競走の廃止を打ち出したのです。

全体的なレベルとしては、南関東・兵庫・福山よりもレベルが低かったJRAのアングロアラブですが、存在意義は非常に大きいものがあったのです。

高度成長以降は地方競馬に比べて賞金水準にも非常に恵まれており、そして生産者には高額の生産者賞がある。

種牡馬としての多大な価値を得るなら大手の地方競馬へ、賞金と生産者賞の恩恵を受けるならJRAへ。

これがバブル直前までのアラブ生産者の正直な心境だったのではないでしょうか。

が、1980年代後半バブル景気が訪れます。競馬界はオグリキャップ人気に乗って一大ブームとなり、

成金が夢を求めてサラブレッドを買いあさり、そしてその結果としてJRAに空前の入厩難が訪れます。

 

そんな中、アラブは地方主催者の方が規模が大きく名誉も得られやすい。

そんな理由からでしょうか、気づいた時にはJRAのアラブ在厩馬房は、

東西合わせて4000を超える馬房の中、わずかに140馬房が残されただけになってしました。

生産にしても、サラブレッドの生産頭数は1万頭を超え、完全な売り手市場。

サラブレッドは生産するだけ売れる、生産界もこぞってサラブレッドを増産する。

その時からアラブ生産数の微弱な減少は始まっていたのでした。

 

そしてバブルの崩壊。

売り手市場から買い手市場へ。馬産界全体の生産縮小、淘汰が始まる。そんな中、JRAから衝撃のニュースが飛び込んできました。

 

「JRAのアラブ系競走を1995年度で廃止する」。

 

確かに晩年は、アラブのレベルは中央よりも地方競馬の方がはるかに高かったのが事実ですが、

しかし日本の競馬界そのものはJRAを中心に回っているのは間違いありません。

たかが140頭、されど140頭。

枠の拡縮はともかくとして、JRAがアラブ系競走を存続するという意味は、とてつもなく大きいものがあったのです。

バブルは崩壊し、生産者の暮らしも日々苦しくなってきている時期に、

このままアラブを生産し続ける事に不安を抱いた生産者が大多数だったはずです。そしてそれは空前の生産縮小劇へとつながっていきます。

JRAは、アラブを犠牲にしてサラブレッドの「交流元年」という名目を謳い、

その空いた馬房を地方競馬からのサラ系移籍馬優先馬房としての活用を断行したのでした。

さらに追い討ちをかけるかのように、地方競馬の最大手である大井競馬が、1996年をもってアラブ系競走の廃止を打ち出し、

これに追随する形で南関東の浦和、船橋、川崎もアラブ系競走の廃止を決定したのでした。

これにより、アラブ系競走の衰退、生産縮小の流れは決定的になったのでした。

 

○地方競馬の衰退の一因=アラブ系競走の衰退?

アラブは生産者にとっても馬主にとっても、サラブレッドよりお金が掛からないものでした。

さらに頑丈で高齢まで活躍でき、「馬主孝行」していたものでした。

しかし、アラブ系競走の衰退により、いやがうえにも馬主はリスクの高いサラブレッドを持たざるを得ません。

このことにより、少ない資本で楽しめるアラブがいなくなることで多くの馬主が離れていき、地方競馬そのものの衰退につながっていったのです。

そして、今までアラブを生産してきた中小の生産者(ほとんどが兼業農家)も、

ほとんどが丈夫で種付け料などの安いアラブで安定した収入を得たうえで、サラブレッドで夢を追っていたのですが、

アラブが売れなくなったためにリスクの高いサラブレッド生産のみを続けることは困難になってしまい、

結局多くの生産者が馬産から手を引かざるを得なくなったのでした。

 

○風前の灯のアングロアラブ競走

JRAが、南関東がアラブ系競走を廃止したことがきっかけとなり、ほかの地方競馬も追随してアラブ系競走から撤退し始めます。

2000年 岩手競馬アラブ系競走廃止 北関東(高崎・宇都宮・足利)アラブ系競走廃止

2001年 中津競馬閉場 三条競馬閉場 新潟県競馬2歳新馬入厩停止

2002年 益田競馬閉場

 

そして、かつて「アラブのメッカ」と呼ばれた兵庫県競馬も、アラブ系競走から撤退してしまいました。

2003年 上山競馬閉場 笠松競馬2歳新馬入厩停止 園田競馬2歳新馬入厩停止  

2004年 佐賀競馬2歳新馬入厩停止

2005年 荒尾競馬2歳新馬入厩停止

 

こうして、アラブ系競走の撤退とともに、生産頭数は激減していきました。

1997年 2197頭

1998年 1748頭

1999年 1152頭

2000年  756頭

2001年  500頭

2002年  310頭

今年度は、おそらく100頭を下回る生産頭数ではないでしょうか。

 

現在、アラブ系単独のレースを行っているのは、名古屋、高知、福山、荒尾の4場のみ。

中でも福山はアラブしか走っておらず、「アラブ最後の砦」ともいわれています。

他の地方競馬場でもアラブは走っていますが、サラブレッドとの混合レースを走っている状態です。

遅かれ早かれ、アラブ系競走は消滅を免れず、またそれに伴い140年近く紡いできたアングロアラブの血統も、この日本から完全に消えてしまうでしょう。

 

○歴史に翻弄され続けたアングロアラブ

軍用馬として酷使され、戦後日本の競馬の礎となり、そして時代の波に飲み込まれ、

まるで存在しなかったかのごとく扱われ、歴史の闇に葬り去られようとしているアングロアラブ。

しかし、たとえアングロアラブの血が途絶えても、

彼らが日本競馬に果たしてきた役割はあまりに多大で、決して無視できないものです。

そして、滅びようとしている中でもアングロアラブは走り続けています。

活躍の場も与えられず、血を紡いでいくことももはや叶わない彼らですが、それでも走り続けています。

 

アラブを「知らない」「わからない」という競馬ファンがほとんどだと思います。

しかし忘れないでおきましょう、アングロアラブが日本の競馬を支えていたことを。

サラブレッドにはサラブレッドの歴史があるように、アングロアラブにはアングロアラブの歴史があるということを。

そして、彼らはまだ走り続けていると言うことを。

滅び行く運命の中でも、彼らアラブは、それでもまだ生き続けているのです。

 

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