昔、投稿天国でかな〜りマニアな競馬コラムを書いて、 かな〜りマニアな人のみにウケていた、『競馬のけ』の作者、“みやっち”。 そのコラムを通じて知り合うことになり、毎晩のように競馬談義に花を咲かせる お好み焼き屋、“ぐっさん”。 二人の「福井の隠れ競馬ファンと知り合って、競馬のロマンについて語り合いたい」という、 たったそれだけの想いで始まったこのサイト「競馬鹿人生」。 今夜も ぐっさんの店で競馬談義が始まった!
|
福井の競馬ファンに捧ぐ
でっかいどう〜〜〜〜〜!! ホッカイドウ〜〜〜〜〜!!!!!(爆)
いや〜、行ってきました北海道!! 競馬ファンなら一度はやってみたい牧場巡り。 行きたい行きたいと思っていましたがとうとう行って参りましたよ!!
|
職場の人間からのやや冷ややかな視線を浴びつつ有給休暇の申請をしたのが1ヶ月前。事前の下調べを入念に行い(でないと、見知らぬ土地ゆえに移動時間でロスをしてしまってはせっかくの旅行なのに台無しになるでしょ)、旅行費用も集まりいざ北の大地に!
○初日(10/2)
①新冠・白馬牧場
北海道に上陸してまず最初に訪れたのは、新冠にある白馬牧場。
入り口にはアラブ種牡馬のお墓がありました。どれもアラブの名種牡馬というべき面々です。実は、白馬牧場に訪れた理由の第一が、彼らの墓参をすることでした
![]() |
スマノダイドウ 現役時代は37戦21勝、大井のアラブダービーなどに勝ちました。1983年〜1985年・1988年・1990年〜1992年の7回に渡ってアラブ日本リーディングサイアーに輝いた名種牡馬です |
|
タイムライン スマノダイドウのライバルといえる馬で、37戦21勝。全日本アラブ大賞典などに勝ちました。主な産駒にローゼンホーマ(後述)やコスモノーブルなど |
![]() |
|
![]() |
オタルホーマー 26戦8勝。南関東アラブ3冠と楠賞全日本アラブ優駿を制した名馬です |
|
ミクニノホマレ 兵庫で重賞を2勝挙げています。代表産駒に全日本アラブクイーンカップ連覇などの活躍をしたヒカサクイーン。ちなみにミクニノホマレの祖母は、157連敗というハルウララもびっくりの連敗記録を作りながらも何故か繁殖入りした「サシカタ」という牝馬です |
![]() |
|
![]() |
ローゼンホーマ 福山競馬史上最強馬。41戦34勝2着6回3着1回。デビュー以来40連続連対は岩手のトウケイニセイに抜かれるまで日本記録でした |
|
ローゼンタイム ローゼンホーマの全兄。主な産駒に「狂気の女帝」マルシンヴィラーゴ |
![]() |
時代が流れ、彼らの活躍は歴史の闇に葬り去られようとしています。
どうか忘れないで・・・
さて種馬場に目をやると・・・
![]() |
![]() |
![]() |
シェルゲーム。アグネスデジタルの半弟 | ナイスベンゲル。半兄にエルコンドルパサー | 南関東無敗の4冠&フェブラリーS2着、トーシンブリザード! |
牧場の奥様から、トーシンブリザードのキーホルダーを頂きました。
ありがとうございます。さっそく使用しておりますw
そういえば、奥様にアラブ種牡馬のお墓参りがしたいと言ったら、「それが目的で来た人は今までほとんどいなかった」と好奇の目で見ておられましたw
あと、白馬牧場にはアラブの名牝「ラピッドリーラン」がいます(タマツバキ記念アラブ大賞典など30勝)。ですが、どうやら分場にいるそうなので見学は出来ませんでした。ちなみに、今年はレギュラーメンバーを種付けしたそうです。父も母も逃げ馬なので、結構面白い配合だと思います。
②ビッグレッドファーム明和
時計の針は午後3時を指していました。お次はマイネル・コスモ軍団の本拠地・ビッグレッドファーム明和に突撃!
まず真っ先に見たのは、ステイゴールド!!
隣の放牧地はゼンノエルシド |
その隣にはマイネルラヴ |
![]() |
![]() |
現役時代「五本足の馬」とまで言われたのですが、 その馬っ気は活かされているのでしょうかw |
「いい嫁当たらねーかな」とばかり。 いささか背中が寂しげでありましたw |
最後は、ビッグレッドファームが心血を注いでいるロージズインメイ
この馬だけ放牧地が倍ほどありました。期待の高さが伺えます
とにかく広大な敷地に、大規模な施設。屋根付坂路も車窓から見えました。
マイネル軍団が、何時の日かダービーを制覇することを私は祈っています。
③門別競馬場
新冠から千歳に戻る際、ついでだから・・・ということで、ホッカイドウ競馬の門別競馬場に立ち寄ることにしました。この日は旭川開催の場外発売を行っていました。
これ・・・が入場門?
4コーナー奥にあり、ここからスタンドまではマイクロバスで移動しました。
夕暮れ時、コース奥に夕日が沈んでいきます収容人数があまり多くなく、非常に小ぢんまりしたものです
コスモバルクが勝った3重賞のレイが飾られていました
馬券はさっぱり・・・道営は難しいですよ
この門別競馬場、2008年をもってホッカイドウ競馬が旭川競馬場での開催から撤退するため、2009年以降は門別競馬場でナイター競走を実施する予定です。これに伴い、現在照明設備の新設工事およびのスタンド増設工事を行っています。ちなみに現在のスタンドは収容人数が500人で、現存する競馬場としては「日本一小さなスタンド」ですが、完成すると収容人数は1500人程度に増加する見込みです。ただし増設されるスタンドは経費節減のため上屋がテント式とされ、既存のスタンドに比べ簡素な構造になるようです。
この日は千歳市に宿泊し、翌日はいよいよ社台スタリオンステーション見学です。
○2日目(10/3)
さあ、今日はこの旅のハイライトとも言うべき「社台スタリオンステーション」見学です!
ディープインパクトをはじめとするあまたの名種牡馬たちが一堂に集まる空間を見れるんです!
と、その前に見学するところがあります。
①吉田牧場
朝8時半、やってきたのは「流星の貴公子」テンポイントとその一族が眠る吉田牧場。
ちなみにこの吉田牧場と社台ファームの吉田家とは縁戚になります
テンポイントのお墓です
テンポイント・・・成績18戦11勝。主な勝ち鞍に天皇賞・春、有馬記念。昭和52年の有馬記念、トウショウボーイとの世紀のマッチレースは、日本競馬史上最高のレースとして語り継がれています。
しかし海外遠征が決まり、壮行レースとなった日経新春杯で故障発生。闘病生活の末にこの世を去りました。本来ならば、この時点で荼毘に付されるのですが、遺体は冷凍されて北海道へ移送され、吉田牧場に土葬されました。ちなみに、競走馬としては初めて葬儀が行われました。(動物ではあの忠犬ハチ公以来だったそうです)
あの大事故から30年が経ちましたが、墓参に来るファンは絶えません。
テンポイントのお墓の脇には、一族の墓がずらりと並んでいました。
![]() |
まずはテンポイントの母・ワカクモ ワカクモの母クモワカは、伝染性貧血症(遺伝力が極めて強く、治る可能性はゼロと言われている病気)にかかっていると診断され、いったんは法律により薬殺処分が決定したクモワカを、「殺すに忍びない」と思った関係者が、必死の努力により吉田牧場にクモワカをかくまったのでした。 クモワカは伝貧の「疑い」と診断されただけに過ぎず、不治の病のはずのクモワカは3年経っても元気であり、他の獣医からは伝貧ではないというお墨付きをもらったのでした。そこで関係者は、消えてしまったクモワカの血統登録を復活するよう裁判に持ち込み、クモワカと生まれた子供たちの血統登録が認められたのは、実にクモワカが行方をくらましてから11年の後でした。 クモワカの血統登録が認められた年(1963年)に生まれた仔が、ワカクモでした。ワカクモは、クモワカが2着に敗れた桜花賞を勝ち、母の無念を晴らしたのです。「幽霊の仔快走する」、そんな見出しが新聞に躍ったとか。ワカクモは11勝をあげた後、繁殖入りして種牡馬コントライトの間に1頭の牡馬を生みました。それがテンポイントなのです。 この「クモワカ伝説」と呼ばれる事件から、一族の数奇な運命が決定付けられたと言っていいでしょう。
|
|
![]() |
←テンポイントの全弟・キングスポイント
テンポイントの妹・オキワカ→ |
![]() |
平地の競走成績に見るべきものは全くなく、「賢兄愚弟」というべき存在でしたが、障害入りすると才能が開花、最優秀障害馬のタイトルを獲得しました。しかし、昭和59年の中山大障害(春)で落馬、予後不良となりました | テンポイントの甥・ ワカオライデン→ |
![]() |
![]() |
←プリティキャスト 昭和55年・秋の天皇賞を6馬身差の逃げ切り勝ちを演じました。ナリタブライアンが3冠を達成した菊花賞で、大逃げをうったスティールキャストはこの馬の仔です
|
中央から公営・笠松に移籍後東海地区のタイトルを総なめ。笠松の故・荒川友司調教師の熱心な働きかけで、活躍馬が続々誕生。代表格は、私が競馬鹿になるきっかけになったライデンリーダーです |
この牧場に来て改めて思ったのは、クモワカがもし薬殺処分されていたら、私は競馬ファンにはなっていなかったのかもしれない。なぜならクモワカから続く血統が残っていなければテンポイントもなくワカオライデンもなくライデンリーダーもなかったのですから。競馬は単なるギャンブルではなく、人と馬とのドラマとロマンであることを。それをこの一族は証明しています。
だから競馬はすばらしい。だから競馬は止められない。
②社台スタリオンステーション
吉田牧場から程近い場所に、社台スタリオンステーションはあります
まずは、やっぱりこの馬、ディープインパクト!!
お次はダイワメジャー。
現役時代は「ダメジャー」なんてあだ名をされたもんですが、終わってみればGⅠ5勝の名馬になっておりましたとさ
キングカメハメハ。
重賞勝ち馬も出して、まずは順調な滑り出しといえるのではないでしょうか
トウカイテイオー。奥はアグネスタキオン
何とかもう一発、父の血を継ぐ者を出してもらいたいです。
③日高ケンタッキーファーム
さて、社台の後は門別・平取の牧場巡り・・・でしたが、予想以上に早く移動したので時間が少々空きました。予定にない牧場見学に行こうかな・・・ということで、日高ケンタッキーファームに行くことにしました。
ここは生産牧場ではなく、観光用の牧場で、引退した馬がたくさんいます。
まずは、
![]() ![]() |
オフサイドトラップ 98年、あのサイレンススズカが散った天皇賞の勝ち馬。お尻を向けたまま・・・・orz |
タイキブリザード 安田記念勝ち馬。現役時代は重戦車のような馬格でしたが、引退してからさらに大きくなってまるで牛のような巨体に・・・ |
![]() ![]() |
![]() |
エモシオン オークス馬アドラーブルの仔。晩年は地方競馬に流れるなど不遇の馬生でしたが、今はこうやって功労馬として余生を送れています |
ミスタートウジン 「ミスター老人」などと言われつつも100戦近く走破した体力は立派の一言。隠居を決め込んでいるのか、顔は見せてくれず・・ |
![]() |
④日高軽種馬農協門別種馬場
門別にはいくつか種馬場がありますが、見学時間に間に合ったこちらを見学することに。
![]() |
←キッケンクリス Kris Sの仔で、シンボリクリスエスが競走馬として大当たりしたこともあり、Kris S.の大物後継として日高軽種馬農協が導入、シンボリクリスエスを付けられない生産者に対して需要があるかと思われましたが、アメリカ馬ながらダートがからっ下手(勝ったGⅠはすべて芝)という点が嫌われたのか、かなりの苦戦を強いられているようです |
||
![]() |
←アドマイヤボス アドマイヤベガ・アドマイヤドンと兄弟。早逝したアドマイヤベガの代替種牡馬としての役割を果たせると思うのですが・・・ |
![]() |
|
|
↑テイエムサンデー |
テイエムオペラオー!
「覇王」オペラオーも、その血統の重さが災いしているのかぱっとしません。
しかし一発大物系の血統だけに、大ホームラン級の馬が出てきても何らおかしくはありません。
奥に見えている馬はアポロキングダム。競走成績に見るべきものはありませんが、
日本初となるレモンドロップキッドの後継種牡馬として繋養されています。
⑤稲原牧場
次に向かった先は、サイレンススズカのお墓がある平取町の稲原牧場。
サイレンススズカの墓です
あの府中の悲劇から11月で10年・・・。この馬があの悲劇がなく生きていたら、どんなタイムで天皇賞を勝ったのか、その後どんな走りを披露したのか。種牡馬となりどんな仔を出したのか・・・・
今となっては、すべてが夢、幻。
この後、ミホノブルボンを見学しようと思ったのですが、牧場主と連絡がとうとうつかず、見学断念・・・orz 少し心残りでした。
○3日目(10/4)
3日目は札幌競馬場に突撃!
○4日目(10/5)
4日間の北海道旅行も今日が最終日。
旅の最後はノーザンホースパークに行くことにしました。
ですがトラブル発生。新千歳空港から出ている送迎バスに乗り遅れた・・・
やむを得ずタクシーに飛び乗り現地に。3500円ほどかかりましたorz
ようやくたどり着いたノーザンホースパーク
功労馬厩舎にはさまざまな馬たちがいました。
写真は撮れませんでしたが、マックロウ(ベガの弟)、ブランディス(中山大障害勝ち)、エアジョーダン(共同通信杯4歳S勝ち)、ほか見学はできませんでしたが、ホオキパウエーブ、クラフトマンシップなどなど。
厩舎で写真をまともに撮れたのはGⅠ馬の2頭。
![]() |
←トウカイポイント!
2002年マイルチャンピオンシップ勝ち。父トウカイテイオーに初めてGⅠタイトルをもたらしました。残念ながら気性のためか去勢されており、種牡馬入りはなりませんでした。テイオーの血を繋いでほしかったのですが・・・
|
ダイナガリバー!!→ 1986年日本ダービー、有馬記念勝ち。 この馬にはさまざまな逸話があります。 生まれた時にバランスの取れた雄大な馬だったので、社台ファームの御大・故吉田善哉氏は生まれたばかりの同馬を見て「ダービー馬が生まれたぞ!」と言ったとか。 そして日本ダービー。日本が誇る大牧場、社台ファームが30年来の悲願としていたダービー制覇が現実のものとなり、吉田善哉は人目をはばからず号泣したといいます。 その姿を間近でみて、ダービー制覇の決意を新たにした人物がいました。 「マイネル」軍団の総帥・岡田繁幸氏です。 彼はこの時、グランパズドリームという所有馬で絶対の自信を持ってダービーに挑みましたが2着。 「社台がこれほどの情熱を傾けて、ようやく初めてダービーを勝ったのだ。自分ごときがどんなに情熱を傾けた気になっていても、まだまだ甘かった…」 このときから、岡田繁幸は「ダービー制覇」を最大目標に掲げて、マイネル軍団を率いて悲願達成に今日も努力しているのです。ここにも競馬のドラマとロマンがあります・・・
|
![]() |
あのダービー制覇から22年。すっかりおじいちゃんになったダイナガリバー。すでに去勢されていて生殖能力はありません。そのためか大人しくこちらをじっと見ていました。
もう少し眺めていたい・・・と思っていましたが、帰りの飛行機の時間が迫っていました。お別れです。
○まとめ
初めて北海道に行きましたが、4日間は比較的天気に恵まれ、快適な旅が出来たと思います。
あとは事前にある程度回る牧場を決めていたのも非常に効率が良かったと思います(回る予定のない牧場まで回る余裕があったので)
しかしやはり北海道は広い。計画の段階で、何頭か見たい馬やお墓参りをしたいと思っていた場所があったのですが、
断念せざるを得ませんでした(トウケイニセイ、ニホンカイユーノス、ライスシャワー墓参などなど)
ただ、それを除けば見たい馬は見れたので大変良かったと思います。
もうひとつ、今回どうしても牧場見学をしたかったのは、
やはり競走馬というものは「生き物」であると同時に「経済動物」であるということからです。
「生き物」は寿命があります。馬の平均寿命は約25年。ダイナガリバーなどはもう寿命に達する年齢です。
それでなくてもサラブレッドは繊細な動物。早逝してしまう馬も少なくありません。
今日生きていても明日生きている保障はどこにもない、ですから今のうちに見ておけるところは見ておきたいと思ったのです。
またサラブレッドは「経済動物」でもあります。種牡馬入りした馬でも、
種付け実績が乏しくなれば「用途変更」という運命が待ち構えています。用途変更・・・良くて乗馬、悪くて「処分」です。
例えば、今回見ることの出来なかったニホンカイユーノスという馬はアラブの名馬なのですが、
すでに日本のアラブ生産は終了しており、種牡馬としての登録はありますが開店休業状態で、彼は今静内で過ごしています。
ですが、ほとんどのアラブ種牡馬は役割を終えたということで「処分」されているのが現状で、彼もこの先どうなるかは全く読めません。
アラブに限らず、サラブレッドも同じこと。種牡馬入りしてからも競争が続くシビアな世界です。ですから見ておきたかったのです。
今回見た馬たち、とねっ仔や1歳馬には「いい馬主さんに買ってもらえよ!」と思い、
種牡馬たちには「いい嫁見つけて種付けバンバンしろよ!」と思い、
功労馬たちには「お疲れ様。たくさん牧草食って、元気で長生きしてくれよ!」と、心から願っています。
あ〜、この文章書いていたらまた北海道に行きたくなった!
食べ物うまいし空気も景色もきれい。命の洗濯をするにはもってこいの場所です。
出来れば来年、もう一度行って今回逢えなかった馬たちに逢いたい。美味しい味噌ラーメンが食べたいw
皆さんも、北海道旅行に行かれた際はぜひ牧場に立ち寄ってみてください。馬たちの元気な姿を見るだけで、こちらが元気になりますよ。